高岡ケーブルネットワーク

特別番組

日本一リアルな河童像!?

富山県ケーブルテレビ9局共同制作2021年新春特別番組「TOYAMA再発見!気になる富山のソレナンケ?」で放送

リポーター「銅器のまち高岡、ということで、高岡古城公園には芸術的な銅像がたくさんあるんですが……なんと日本一リアルな河童像があるらしい、という情報が入ってきましたのでさっそくいってみましょう!」
ということでやってきたのは高岡古城公園内にある射水神社。
さっそく教えていただくのは射水神社の田中天美さん。

 田中さん「見えました!」
 リポーター「これは……台座? 河童いないじゃないですか。」
 田中さん「あ、今いないんでした。」
 リポーター「本当にいたんですか?」
 田中さん「いました。これがその証拠です。」

田中さんが《河童霊像》の写真を提示。

 リポーター「これは……河童ですよね!?」

ということで、こちらがその写真。

 リポーター「作者が……米治一? だれそれ?」

 田中さん「米治一(こめ・じいち)は日本を代表する原型師。高岡の人」 

米治一 原型師 1896-1985

そう、米治一は、高岡銅器の原型師。いわば銅像づくりのレジェンド。富山県高岡市生まれで1985年に亡くなっています。

 

治一は、今から百年ほど前、大正時代の東京美術学校で、高村光雲という彫刻の巨匠に師事しました。光雲と言えばあの、東京上野の 西郷隆盛像の作者ですよね。

おいおい、河童はまだか、って。ここでは前置きが重要なんです。

治一について知るべくお話を伺ったのは、晩年、交流があったという元高岡市立博物館館長の神保成伍さん(取材時83歳)。

神保さん「温厚な方だった。リアルなものを作るのにたけている人」

そう、治一はふるさと高岡に戻って60年余り、原型師一筋の人生をおくるんですが、その間、手がけた銅像はなんと1000体以上。

治一は、「写実」と「品格」という光雲の作風を受け継いでいるんですね。

 

ということは……「品格」のある河童? さあ、あらためて、河童霊像、拝見!

 リポーター「うわー、これは怖い、リアル」

こちらの像、よく見ると花がお供えしてあります。もしかして、神社の守り神だったのでしょうか?

そのヒントをなんと、九州熊本で見つけました。金龍堂まるぶん店です。

書店の入り口をよーく見ると?……ありました、河童像。ほー、かなりリアル。
米治一、74歳の時の作品です。市民に愛され、商店街の「守り神」とも言われているそうで、2016年の熊本地震も乗り越えました。
ほら、足元にはお賽銭がこんなに。

 

店長荒川俊介さんコメント「高岡で作られた河童が愛され続けています。ぜひ遊びに来てください」

また、像のわきには、治一の制作意図が刻まれています。
(碑文の内容)「河童そのものを一つの人間としてとらえ、悪から善へと導こうとしている姿。つまり過去の悪夢悪態を禅によって心身ともに清め、かつ善導仏心となる真の心をあらわそうとしたものである」
なんだか難しいですが、神か仏に近い存在だったんでしょうか。

リポーター「えーっと、ところで、河童霊像はどこ行ったんですか?」
田中さん「わかりません。もしかして古城公園のお濠にいるかも?」

今回の取材では河童のありかを突き止められませんでした。
ん~、残念! 以上、高岡から河童像のお話でした。(了)

※射水神社の「河童霊像」は1954年11月7日完成。
※金龍堂まるぶん店の河童像は1970年1月21日完成。
※なおこの「河童像」は2019年に取り壊された「高岡ホテル」にも同じものがあった。

➡【昭和・平成・令和】熊本・上通りを見つめ続ける、カッパの目~金龍堂まるぶんのカッパ像の由来――熊本ぼちぼち新聞(2019年)

➡「金龍堂まるぶん店」 | FMK Morning Glory」(FM熊本・2016年)

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